ある出来事を認識する前後で目の前の世界が大きく変化してしまった。認識する前にはもう戻りたくても戻れない。
今日は僕のそんな体験をお話してみよう。
この話は味覚と嗅覚に関わるため、まずは僕らの鼻がどうやって匂いを知覚し、口がどうやって味を知覚しているかを説明しなければならない。
例えばワインを飲んでいる状況を想像してほしい。
君はワインの芳醇な香りと、タンニンの効いた心地よい渋みを楽しんでいる。この時、物理現象として何が起こっているだろうか。
ワインは無数の分子によって構成されているが、ここでは代表的にワイン分子と呼ぶことにしよう。ワイン分子は、ワインの液面から空気中に飛び出していき、ふわふわと空気中を彷徨ってから君の鼻の穴に吸い込まれていく。
鼻の粘膜には沢山の匂い分子受容体が存在していて、ワイン分子はそれらに結合する。結合すると、脳へと信号が送られて君はワインの匂いを知覚することができる。
味覚も似たようなものだ。舌の上には無数の味分子受容体が存在していて、ワインを口に含んだときにワイン分子がそれらと結合し、脳が味を知覚できる。
さて、これからが僕の体験談だ。
ある日のこと。
僕は会社で尿意をもよおしトイレに向かった。意外と漏れそうな状態だったため走って向い、トイレに着く頃にはちょっと息が切れてしまっていた。
この時不幸だったのは、トイレの個室の中に下痢気味のオジさんがいたことだ。
おもむろにトイレのドアを開けると、
くさっ!!鼻をつんざくような強烈な悪臭がしたのだ。
この時にどんな物理現象が起きているか、君も徐々に分かり始めているかもしれない。
オジさんのお尻から生み出されたカレーは無数の分子によって構成されているが、ここでは代表的にカレー分子と呼ぶことにしよう。
僕がカレーの匂いに気づいたということは、オジさんのカレーから飛び出したカレー分子は僕の鼻の粘膜に到達しているのだ。
それだけではない。息が切れていて口呼吸をしていたため、間違いなく、そして残念ながら僕の舌の上にもオジさんのカレーから飛び出したカレー分子が到達している。
この物理現象を思い描いた瞬間に僕は気付いてしまったのだ。
舌の上にカレー分子が到達しているならば、カレーを食べていることと本質的な違いは無いのではないか。
僕はこの恐ろしい事実に気づいた瞬間、血の気が引いてプルプルと震えるながらその場に座り込んでしまった。
僕はこれまでの人生でいったい何杯のカレーを食べてきたんだ。。。
君はこう言うかもしれない。舌の上に到達したカレー分子なんて極々わずかだろう、気にする必要は無い。
では聞くが、オジさんのカレーを水1Lで薄めたものをスプーン1杯だけでも飲めるのか?水100Lで薄めたとして飲めるのか?
いったん気付いてしまった事実から目を背けることはできない。この事実に気付いた人間と、そうでない人間の住む世界は完全に分断されているのだ。
僕はもうトイレで口呼吸をできなくなってしまった。呼吸をして体の中にカレーが入ってくるのは同じだとしても、舌にだけは触れさせたくない。口を真一文字に結んで鼻呼吸をする。これが僕にできる唯一の生存戦略だ。
残念ながら、人間は呼吸しなければならないし、人間はトイレに行かなければならないし、オジさんは下痢になる。
僕らは自然の摂理に逆らえないのだ。
僕はこの話をすることを少しためらっていた。なぜなら、僕が間違って来てしまったこちら側の世界に君を引き込んでしまうからだ。
ただ僕はこの世界で一緒に過ごす友が欲しかった。
ようこそ、このカレーに溢れた残酷な世界に。
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