サイエンスの香りがする日記

実体験や最新の科学技術をコミカルに綴ります。

期待感が高まりすぎたアルツハイマー病征服への物語。

これほど期待感を高めておいて、肩透かしを食らわせてきた物語は他にないんじゃないでしょうか。


世界に5000万人の患者がいるアルツハイマー病の治療薬開発です1,2)


この物語をちょっと昔の話から始めてみましょう。

 

始まりは1900年代のドイツ。精神科医アルツハイマー博士が、亡くなった認知症患者の脳を詳細に観察したんですね。すると、脳が萎縮していたりとか、異常な堆積物が存在することを発見して、その結果を学会で発表しました。


 

アルツハイマー博士3)

 

その発表がきっかけで、そういった脳の状態の患者がアルツハイマー病と呼ばれるようになっていきました。発見者の名前が病名になるのはよくある話です。


さて、異常な堆積物があったわけですから、これが病気の原因だろうと考えて、こいつは何者だと研究者たちは調べ始めました。


それで、この堆積物をなんとか脳から抽出して分析したところ、タンパク質の破片の塊であるアミロイドβが堆積していたと分かったのです。

 

アミロイドβ

 

ちょっと話は飛びますが、アルツハイマー病には遺伝性と非遺伝性があって、遺伝性は家族性アルツハイマー病と言います。アルツハイマー病になりやすい家系があるのです。


研究者たちは、その家系に特徴的な遺伝子を調べて、アルツハイマー病に関連する遺伝子を探索しました。


すると、見つかった遺伝子がまさにアミロイドβの生成に直接関わっていたのです。犯人はアミロイドβだ!そうみんなが思い始めました。

 


4)

 

そこでマウスの実験。家族性アルツハイマー病の遺伝子の状態をマウスで再現してみると、見事に脳にアミロイドβが堆積して、さらに認知機能も低下したのです。


もうアミロイドβアルツハイマー病の原因物質で間違いない!研究者たちは大興奮です。


原因が分かったわけですから、次はどうやって治療するかです。シンプルに考えればアミロイドβを除去したくなりますよね。でも、どうやって除去するか。排除します!と、どこかの都知事みたいに呟いても、簡単にはいきません。


ここで奇抜な発想が生まれました。ワクチンです。


新型コロナやインフルエンザでおなじみのアレですね。免疫系にアミロイドβを異物と認識させられれば、身体が勝手にアミロイドβを排除してくれるだろう、という発想です。


そんなわけで、アミロイドβをマウスの身体にワクチンとして注射してみたのです。


 


するとどうでしょう。期待通り免疫系が反応して、マウスの脳内のアミロイドβを除去してくれたのです。さらには、認知機能が回復するという素晴らしい結果が出ました。


こんなにトントン拍子で研究が進むものでしょうか!あと数年でアルツハイマー病を征服できる!と確信した瞬間でした。ここまで来たら、ALL-INです。製薬企業もガンガン投資していきます。医薬品開発では、開発費が100億円を超えてくることもあります。それでも成功すれば元がとれるわけです。


さぁ、勢いに乗ってヒトでの臨床試験です。ただ、ここでちょっと引っかかりました。


マウス同様にアミロイドβをワクチンとして投与したら深刻な副作用が出てしまい、臨床試験を続けられなくなってしまったのです。


さて、どうするか。ここで再び良い発想が生まれます。ワクチンを投与する大きな目的の一つは抗体を作ることです。だったら、最初からアミロイドβを認識する抗体を投与すればいいじゃないかと。いわゆる抗体医薬です。


そこで抗体医薬を使ったヒト臨床試験が始まりました。


その結果、マウスの時と同様に、見事に脳内のアミロイドβを除去できたのです!


1900年代から始まったアルツハイマー病との戦いの物語が遂に完結する。世界中の5000万人の患者とその家族を救える。誰もがそう思いました。

 

ところがです。

 

認知機能がほとんど改善しなかったのです。注)

 

原因だと考えられていたアミロイドβを除去できたのに、目的であるアルツハイマー病は治療できなかったわけです。


臨床試験の結果をもって感動のフィナーレのはずが、文字通り、「俺たちの戦いはこれからだ」になってしまったのです。製薬業界は莫大なお金を投資してきましたから、頭を抱えたことでしょう。


さて、どこで道を間違えてしまったのでしょうか。アミロイドβの発見から、ヒト臨床試験まで、まるで美しい物語を見ているかのようだったのに。

 

僕らは何か選択を間違えてしまったようです。

 

5)


実は、よくよくこれまでの道のりを見直すと、気になるところが出てくるのです。


アミロイドβを原因物質と判断していましたが、統計値として高齢者の30パーセントはアミロイドβが蓄積していても、症状が出ません。また逆に、認知機能に症状が出ている患者の15パーセントはアミロイドβの蓄積が見られないのです。


また、遺伝子変異マウスの実験にも批判があります。人間がアルツハイマー病になると認知機能がどんどん悪化していき、終いには亡くなってしまいます。一方で、遺伝子変異マウスは認知機能が低下したと言いましたが、人間ほどの症状ではなく軽いものだったのです。人間の状態を模擬できていないという批判があるのは当然ですね。


アミロイドβ犯人説に水を差すデータはいくつも転がっていたわけです。それでもアミロイドβを何とかするための研究に莫大な資金がつぎ込まれて来ました。


なぜこうなったのか。


色々な指摘がありますが、業界の中心にいる研究者が力を持ちすぎて「アミロイドの研究じゃなきゃ、アルツハイマー病の研究じゃない」と言われていた時期もあったようです。

 

権威を持つ研究者が“正しい”と言ったことが、“正しい”とされてしまったのかもしれません。
 

6)


僕の個人的見解としては、物語の力なんじゃないかなと。


認知症患者の脳にアミロイドβが堆積。家族性アルツハイマー病の関連遺伝子がアミロイドβの生成に関わっている。その遺伝子をマウスで再現すると認知機能が低下する。そして、ワクチンという奇抜な発想で、それを解決できた。原因の発見から解決法の提案までが、一本の道でつながったようでした。


美しい物語、みんなが信じたくなる物語、因果が明確で納得しやすい物語。そういった物語の力が、アミロイドβを基盤とするアルツハイマー病の研究を強引に推進してきたように思えるのです。


さて、アルツハイマー病の研究の将来はどうなっていくのでしょうか。未来のことは神のみぞ知るですが、現状のアミロイドβを狙った抗体医薬がイマイチなのは事実です。


高齢化社会の最先端を行く日本にとっては、アルツハイマー病を治療できるようになるかは重要な問題になってくるはずです。

 

【参考文献】

1. 下山進アルツハイマー征服、角川文庫
2. カール・へラップ、アルツハイマー病の研究 失敗の構造、みすず書房
3. アロイス・アルツハイマー(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%84%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BC)
4. 青山剛昌名探偵コナン
5. 山田鐘人 (原作)、 アベツカサ (作画)、葬送のフリーレン、小学館
6. 吾峠呼世晴鬼滅の刃集英社

 

【注釈】

認知機能の低下速度を若干を抑える効果があるということで、製品化されている抗体医薬も存在します。ただし、薬価に対して効果が十分であるかは議論があります。

 

 

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