「老いることも死ぬことも 人間という儚い生き物の美しさだ」
漫画 鬼滅の刃の作中で、鬼にならないか?と問われた煉獄杏寿郎が放った言葉だ。
鬼になれば永遠に若く、そして強くいられる。
そんなことよりも人間としての矜持を彼は守ったのだ。
この一言を映画館で聞いた僕は、全くその通りだなと涙ながらに同意していた。
ところがである。
映画が終わり、トイレに行き、そして手を洗いながら鏡で髪の毛が寂しくなった自分の姿を見た瞬間、
「永遠の若さと毛根の強さが欲しいわぁ。」
思わずそう呟いてしまったのだ。
鬼にはなりたくないけど、若くはなりたい。
世界中の研究を見渡してみると、鬼になる研究は見当たらないが、若くなるための研究は数多く行われている。
実は、ある技術の発展によって老化を克服できる可能性が少しずつ高まってきているのだ。
その技術ってiPS細胞のことかな?
そう思った読者もいるかもしれない。
京都大学の山中教授は、体から取り出してきた細胞に山中因子と呼ばれる4つの遺伝子を導入した1)。すると、その細胞は多能性を得る、すなわち、どんな種類の細胞にも分化できるiPS細胞に変化したのだ。
細胞の分化は山を転がるボールで喩えられ、ウォディントンの地形で表現される2)(図1)。
山の頂上にある細胞はあらゆる種類の細胞に分化できる能力を持っている。そして、頂上から転がり落ちることが分化であり、ある安定した領域に到達する。
どの領域に転がっていくかで心筋細胞になったり、皮膚細胞になったりするわけだ。
図1 ウォディントンの地形
山中因子の役割は、細胞を再び山の頂上に持っていくようにリプログラミングすることなのだ。
頂上に戻れば、どこの安定領域にもまた転がることができる。
iPS細胞を使って新しい臓器を作り出せば、身体のあらゆる部分を新品に交換できる可能性がある。
iPS細胞によって老化を克服できそうな気がするだろう。さて、それは実現可能だろうか。
例えば、老化に伴って糖尿病になり、膵臓を交換したい場合を想像してみよう(図2)。
図2 膵臓の再生
まず自分の皮膚から細胞を取ってくる(ステップ1)。
次に、細胞に山中因子を加えてiPS細胞に変化させる(ステップ2)。
続いて、iPS細胞を膵臓の細胞へと分化させる(ステップ3)。
さらに細胞を組み合わせて膵臓という立体的な臓器を作る(ステップ4)。
作製した臓器を身体に移植する(ステップ5)。
考えてみると、めちゃくちゃステップが多いのだ。そして、どのステップも研究段階で方法が確立されていない。
どうにかしてプロセスをもっと単純化できないだろうか。
こういう課題意識で注目されている技術が"ダイレクトリプログラミング"だ3)。
この技術では、身体から取り出した細胞をiPS細胞には変化させず、直接目的の細胞へと変化させる。
ウォディントンの地形で考えれば、頂上を通らずにある安定領域から別の安定領域へとボールを運ぶことになる(図3)。
図3 ダイレクトリプログラミング
iPS細胞に変化させるステップが省かれ、プロセスが単純化するのだ。
それでもまだまだプロセスは複雑だ。
何しろ立体的な臓器を造るという関門が残っている。身体の中とは違う環境で、期待通りの臓器を形成できるかは疑問が残るところだ。
ここでピンときた読者もいるかもしれない。
身体の中でダイレクトリプログラミングしてやればいいじゃないか。
まさにその発想が、近年続々と成果が出ている"生体内リプログラミング"である4,5)。
身体の中の細胞を別の機能を持った細胞に直接変換してやるわけだ。
これまでに、膵臓6)、皮膚7)、心筋8)、脳神経9)の細胞を身体の中で生み出すことに成功している。
もちろんヒトでの実績は無い。対象は実験動物だ。それでも、成果は着実に溜まってきている。
そしてこの生体内リプログラミングは老化をも克服しつつある。
老化の影響をウォディントンの地形で考えてみよう(図4)。
図4 老化
年をとってくると、細胞は自身が持つ遺伝情報をうまく使えなくなってくる。
それは細胞が安定領域に留まっていられず、そこから転げ落ちてしまうことを意味する。
そこで、生体内リプログラミングによって元の位置に戻そうという発想が出てくるわけだ。
2016年にCellに掲載された論文では、マウスに山中因子4つを導入することで生体内リプログラミングを試みている10)。
山中因子を長期的に体内で機能させると、がん化することが知られている。ウォディントンの地形で言えば、山を登りすぎてはいけないのだ。そこで論文では、山中因子を短期的に機能させるように工夫している。
その結果、なんとマウスの寿命を伸ばすことに成功している。
また、老化したマウスに生体内リプログラミングを施すと、細胞が若返り、筋肉や膵臓が傷付ついた時の回復スピードが向上することを確認しているのだ。
2020年にNatureに掲載された論文も老化克服への期待を持たせてくれる11)。
この論文は、日本でベストセラーとなったLIFE SPANの著者であるハーバード大学のシンクレア教授グループの成果だ。
マウスの眼に対して山中因子のうち3つを導入することで生体内リプログラミングを試みている。
その結果として、老化に伴って発症する緑内障を改善できるというデータを得ている。また、眼の神経が傷ついた場合の回復スピードも向上していた。
さらに、老化したマウスの視力自体を回復できることも実証しているのだ。
繰り返しになるが、紹介してきた研究はあくまで実験動物が対象だ。
ヒトで成果が出るにはまだまだ時間がかかるだろう。
それでも生体内リプログラミングの分野では次々と大きな成果が出ている。何10年先になるかは分からないが、薬を注射するだけで老化を克服できる日がきっとやって来る。
その日がやって来たとき、こんな質問をされたら君たちは何と答えるだろうか。
「素晴らしい提案をしよう。」
12)
【参考文献】
- Takahashi K., Yamanaka S., Induction of pluripotent stem cells from mouse embryonic and adult fibroblast cultures by defined factors. Cell. 126(4), 663-676 (2006)
- Ladewig, J. et al., Leveling Waddington: the emergence of direct programming and the loss of cell fate hierarchies. Nat Rev Mol Cell Biol 14, 225–236 (2013)
- Mollinari, C., Merlo, D. Direct Reprogramming of Somatic Cells to Neurons: Pros and Cons of Chemical Approach. Neurochem Res 46, 1330–1336 (2021)
- Srivastava D., DeWitt N., In Vivo Cellular Reprogramming: The Next Generation, Cell 166(6):1386-1396 (2016)
- Ofenbauer, A., Tursun, B., Strategies for in vivo reprogramming. Curr. Opin. Cell Biol. 61, 9–15 (2019)
- Zhou, Q. et al. In vivo reprogramming of adult pancreatic exocrine cells to β-cells. Nature 455, 627–632 (2008)
- Kurita, M. et al. In vivo reprogramming of wound-resident cells generates skin epithelial tissue. Nature 561, 243–247 (2018)
- Qian, L. et al. In vivo reprogramming of murine cardiac fibroblasts into induced cardiomyocytes. Nature 485, 593–598 (2012)
- Li H., Chen G., In Vivo Reprogramming for CNS Repair: Regenerating Neurons from Endogenous Glial Cells. Neuron 91(4), 728-738 (2016)
- Ocampo A. et al., In Vivo Amelioration of Age-Associated Hallmarks by Partial Reprogramming. Cell 167(7), 1719-1733 (2016)
- Lu, Y. et al. Reprogramming to recover youthful epigenetic information and restore vision. Nature 588, 124–129 (2020)
- 吾峠呼世晴 鬼滅の刃
本記事は下記クラブのご協力を得ています。
面白い文章を書けるようにするクラブ CAMPFIREコミュニティ