血液1滴で複数のガンを検出できます。
こんなニュースを目にした事はないだろうか。
実は、血液や尿などの生体試料を利用してガンを早期診断すると言った時、バイオマーカーと呼ばれる物質を調べている。
なんでそんなことを知っているのかって?
つい最近まで僕は、
「ガンの早期診断のニーズは大きいので、バイオマーカーを検出するセンサを開発すれば儲かります!」
と言って、研究費を何回も申請してきたからだ。
今回の記事では、その過程で得られた経験や知識をもとに、「血液1滴でガンを検出」がどこまで正しいか?について解説したいと思う。
一般にガンは早期に発見するほど治療成績が良いため、ガンの早期診断法の開発が世界中で行われている。そしてその成果を知らせるニュースを年に何回も目にする。
だが、その成果が実用化されたかを知る人は少ないだろう。
ガンの診断については厚生労働省のホームページが詳しい(1) 。そこには、国が有効であると認めた診断方法が列挙されている。
君もそのページを一度見てみてほしい。文頭に書いたような血液1滴でのガン診断なんて文字はどこにも書いていない。
いったいどういう事だろうか。ニュースで見た画期的な診断法はどこに行ってしまったのか。
最初に紹介したように、血液や尿などの生体試料を利用してガンを診断する場合、バイオマーカーを調べている。
バイオマーカーには色々と定義があるが、簡単のためにここでは、ガン患者の生体試料にのみ含まれる物質、もしくは健常者と比較してその量が増減する物質としよう。
ガン早期発見法の開発を目指す研究者達は、ガン患者と健常者の生体試料を比較することで、バイオマーカーとして働く物質を必死に探している。いわゆるバイオマーカー探索という研究分野だ。
バイオマーカーを見つけてガンの早期診断を実現しようという動きは昔からあるが、日本には苦い歴史がある。
神経芽細胞腫という小児ガンがある。0歳でガンになってしまう恐ろしい病気だ。
赤ちゃんを助けるため、日本人研究者は赤ちゃんの尿に含まれるある種の物質、すなわちバイオマーカーの量を調べることで、神経芽細胞腫を早期に発見できるという検査法を開発した。
そして1984年頃から、公的施策として日本中の赤ちゃんにその検査が適用されていった。2002年には生まれた赤ちゃんの91%以上が検査を受けた(2)。
その結果、神経芽細胞腫の発見数が検査適用前の2倍以上になった。
やった!早期発見で赤ちゃんを救える!
とは残念ながらならなかった。
神経芽細胞腫による死亡率は変化しなかったのだ。
いったい何が起きていたか。
過剰診断である。本来ガンではない赤ちゃんをガンと診断してしまっていた。また、放置しても自然に治癒するガンも見付けてしまっていた事が分かってきたのだ。
さらにこの状況で、カナダとドイツの研究グループが、日本が開発した検査手法では神経芽細胞腫の死亡率は改善しないという論文を発表したのだ。
何という泣きっ面にハチ状態。当時この検査を推進していた人達は針のむしろだった事だろう。僕がその立場だったら家にこもってガクブルしている(検査を受けた赤ちゃんが1番悲しいのは言うまでもない)。
2003年8月、厚生労働省は尿中のバイオマーカーを利用した神経芽細胞腫の検査法の取り止めを決定した(3)(4)。
さて、バイオマーカー探索の話に戻ろう。
僕らの体は、DNAという物質で構成される遺伝子を設計図として作られている。その設計図を基にタンパク質が作られ、体の中で様々な働きをしている。
タンパク質の機能を解析して、体のメカニズムを解き明かそうという研究分野がプロテオミクスである。
2000年前後にタンパク質を分析する装置の改良が進み、プロテオミクスは注目されるようになった。
読者のみんなも気付いたと思うが、血液や尿の中のタンパク質を調べれば、バイオマーカーを見つけられるのでは?そう思った世界中の優秀な研究者達がプロテオミクス分野に殺到した。
大プロテオミクス時代の到来である。
彼らにとってバイオマーカーはONE PIECEのようなものだ。それを見つければ一攫千金。そんな夢を見ていた。
多額の研究費が投入され、世界中で凌ぎを削る競争が起きた。
その結果、大量のバイオマーカーが見つかったのだ。
我こそは海賊王だと名乗る者がどんどん現れた。
1年間で1,000個ものバイオマーカが発見された。
そして、どうなったか。
アメリカの政府機関に医療用途で利用可能なバイオマーカーとして認められた物質はたったの20個程度だ(5)。
しかもそのうち治療効果を向上させたバイオマーカーは1つもなかったという報告がある(6)(7)(もちろん異論もある)。
いったい何がどうなっているのか。
研究者はみんな嘘つきなのか?
いや、そんな事はない。みんながみんなオボちゃんな訳ではないのだ。
人間の多様性は想像以上だった。
ある母集団で有効なバイオマーカーも、別の母集団では全く有効ではなかったのだ。
港区女子で有効なバイオマーカーは、新橋で飲んだくれてるオジサンには有効ではなかった。
徐々にそういった事が明らかになり、プロテオミクス時代は終焉していった。
では、バイオマーカ探索も同様に終焉したかと言うとそうではない。平成時代の次に、令和時代が続くように、プロテオミクス時代が終わっても、また新たな時代が始まったのだ。
ガン発生のメカニズムが解明されてきたことの影響が大きい。多くのガンは、DNAが老化や喫煙などの影響によって変異することが発生の原因であることが分かってきた。
血液や尿の中にあるガン特有のDNAを発見できれば、それがバイオマーカになるはずだ!研究者達はそう考えたわけだ。
え?でもタンパク質で上手くいかなかったのに、DNAだと何で上手くいくの?そう思うだろう。
DNAとタンパク質には大きな違いがある。DNAは、その量を何倍にも増幅させる手法が確立されている。目的のDNAが血液や尿の中にわずかしか存在しなくても、増幅させることで検出できる。プロテオミクスでは見つからなかった人類固有のバイオマーカが見つかるかもしれない。
よぉし、今度こそ一攫千金だ!またしても巨額の研究費が投入され、血液中を流れるDNAを分析してガンを発見するという成果が次々と発表された。
ところがである。
症状が出ていないような早期のガンの場合、ガン特有のDNAは血液10ml中に1個あるか無いかという状況であることが分かってきた(8)(9)。
いくら検査法の精度が高かったとしても、いくらDNAを増幅できたとしても、元々無いものは検出できない。コナンのような名探偵でも事件の起きてない場所で犯人を見つけることはできないし、ルパンのような大泥棒でも何もない砂漠から砂以外を盗むことはできないのだ。
タンパク質でもダメ。DNAでも難しい。さて、どうするか。
タンパク質とDNAの両方を組み合わせてみてはどうだろうか。僕らが思い付くような事は既に行われている。
2018年のScience誌に掲載された論文では、16種類のDNAと10種類のタンパク質を利用すれば、”他の手法でガンだと分かっている患者”と”他の手法でガンでは無いと分かっている健常者”を精度良く判別できることを報告している(10)。
さて、この検査法によって”症状が出ていない”早期のガンを検出できるだろうか。僕には分からない。
ガンの早期診断を考える時、以下の4つの要素を考慮する必要がある。
感度(ガンの人を検査した時にガンと診断する確率)
特異度(ガンではない健常者を検査した時にガンでは無いと診断する確率)
有病率(検査を受ける集団におけるガンの人の割合)
陽性的中率(検査でガンと診断された人が本当にガンある確率)
では、非常に精度の高い検査法が仮に存在したとして考えてみよう。
ありえないが感度は100%としてみる。ガンの人を100人検査すれば、100人全員をガンと診断できる。
特異度は99%だ。研究段階ではこのくらいの数値もありえる。100人の健常者を検査すると、99人を正常と診断できる。ガンだと間違えてしまうのは1人だけだ。
次は有病率。検査対象の人々は、4000人に1人の割合で本当にガンだとしよう(論文によれば、このくらいが妥当な割合らしい(8))
さて、この時の陽性的中率はいくらか。
計算方法の説明は他の人に任せるとして、答えはたったの2%。
ガンと診断された100人のうち、本当にガンなのは2人だけだ。理想的な検査法を仮定してもこうなってしまうのだ。
感度と特異度が高そうに見えても、有病率が低いと、陽性的中率も著しく低くなってしまう。
え?それでもガンが見つかればいいじゃないかって?
想像してみてほしい。自分がガンだと宣告される瞬間を。
目の前が真っ暗になるかもしれない。非常に大きな精神的ストレスがかかるだろう。
それに続くのは精密検査だ。血液検査、僅かではあるが放射線を浴びるCT検査、内視鏡検査もあるかもしれない。
これらは検査であると同時に体にダメージを与える。
こういった精神的ストレスや検査によるダメージは、本来100人中98人は受ける必要がないものだ。
今回の記事では、神経芽細胞腫やプロテオミクスなど長々と書いてきたが、それらで見られる多くの問題がここに帰着する。
早期に診断しようとすればするほど有病率は低下する。それに伴って陽性的中率も低下する。そして過剰診断という負の側面が無視できないレベルで顔を見せ始めるのだ。
ましてやバイオマーカーを利用した診断は、人間の多様性のために感度と特異度を上げる事が難しい。
はたしてこの道の先に未来はあるのだろうか。
僕はこの記事をかなりの上から目線で書いてきた。まるでオレは本質を見抜いてるんだぜ!といった感じで、イラッとした読者もいるかもしれない。
だが文頭でも書いたように、僕もバイオマーカに夢を見ていた一人なのだ。有病率や陽性的中率なんて考えずに。
嗚呼、なんと浅はかなことか。
バイオマーカを利用した早期診断は非常に難しい。それは分かった。だが、この記事の最後に一つ言いたいことがある。
それは、僕はまだ諦めていないということだ。
これは何かのエビデンスや確固たるロジックに基づく訳ではなく、あくまで僕の感覚によるものだが、僕はテクノロジーの発展によって早期診断は実現するものと思っている。いや、信じていると言った方が正しいかもしれない。
ただし、それは数年後のような近い未来ではなく、答え合わせは10年後や20年後の話だ。
実現しているのは僕かもしれないし、世界の別の研究者かもしれない。
いずれにせよ、その時にはこのブログで僕の考えを書き記したいと思っている。
【参考文献】
- 厚生労働省 がん検診(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000059490.html)
- 品川貴郁 他 神経芽細胞腫の罹患率・死亡率に対する マススクリーニングの影響、JACR Monograph, 22 第1論文集
- 坪野吉孝 神経芽細胞腫マススクリーニング検査のあり方に関する検討会に参加して(http://www.jacr.info/publicication/Pub/NL/NL14/NL_14-2_4.pdf)
- 「神経芽細胞腫マススクリーニング検査のあり方に関する検討会報告書」について(https://www.mhlw.go.jp/shingi/2003/08/s0814-2.html)
- Bradshaw RA et al., Cancer proteomics and the elusive diagnostic biomarker, Proteomics. Vol. 19(21-22) (2019)
- 近藤格 プロテオーム解析によるがんバイオマーカ開発、生物試料分析 Vol. 39, 2, 169(2016)
- 近藤格 プロテオーム解析の現状と課題(https://www.ncc.go.jp/jp/ri/division/rare_cancer_research/project/010/020/030/20170911225458.html)
- Clare Fiala et al., Utility of circulating tumor DNA in cancer diagnostics with emphasis on early detection, BMC Medicine, Vol. 16, 166 (2018)
- Translational Application of circulating DNA in Oncology: Review of the latest decades achievements, Cell, Vol. 8, 1251 (2019)
- Joshua D. Cohen et al., Detection and localization of surgically resectable cancers with a multi-analyte blood test, Science, Vol. 359(6378), 926(2018)