「本物の寿司を食べて、違いの分かる大人になりな。」
回転寿司しか行ったことの無かった僕に、昔叔父さんが言った言葉をよく覚えている。
寿司の味なんてそんなに変わるの?そう思っていた。けれど、高級な老舗寿司屋に行ってみて叔父さんの言っていた意味がやっと分かった。
先週の月曜のことだ。
会社でコンサルを依頼しているアメリカ人のジョージが久しぶりに来日することになり、寿司屋で接待することになったのだ。
旨いものが食べれそうだな。意気揚々としながら僕と部長は銀座に向かった。
その部長は、まさにザ昭和の部長という雰囲気をしており、小太りで少しハゲている。飲み会となると、ウンチクを長々と話すところがちょっと辛いが、兄貴分な感じで接してくれて僕は好きだ。
寿司屋に着いてみると、老舗感が溢れる店構え。否が応でも期待感が膨らんでくる。
1階は板前さんと対面するカウンター席のみ。2階には個室がある。僕らは個室を予約してあった。
2階の個室に入ってみると掘りごたつ。外国人向けに改築したのだ、と部長が英語で説明していた。
寿司は2貫ずつ綺麗なお皿に盛り付けられて出てきた。部長は一品ずつ得意のウンチクを交えながら説明していった。
食事も中盤になりビールもすすみ、部長のテンションが上がってくる。
「このウナギは日本でしか食べられませんよ!」
ジョージも頷きながら返答する。
「アメリカのウナギとは味も食感も全然違いますね!」
部長はご満悦の表情だ。そんな中、お茶を入れにスタッフの女の子が部屋に入ってきた。
「おねぇさん、このウナギ旨かったよ!」
部長がゲラゲラ笑いながら話しかけた。
すると、スタッフの女の子は感情の無い声でこう言った。
「そちらアナゴになります。」
「……………………。」
さっきまでの明るい雰囲気は消え失せ、部屋に静寂が広がった。
僕と部長は目を合わせたまま微動だりしなかった。いや、動けなかった。
額に流れる嫌な汗を感じながら、次に発するべき言葉を僕は必死に探していた。
そんな中、ジョージが英語で言った。
「どうしたのですか?」
彼は日本語がまったく分からないのだ。彼は状況を理解していない。
なんと答えるべきなのか。
僕は嘘をつくのが嫌いな人間だ。そして親として、娘には嘘はついちゃいけないぞ!と教育している。
たがしかし、僕は親である前に一介のサラリーマンなのだ。長いものに巻かれよう。ウナギもアナゴも長いものには変わりは無い。
僕は長いものが乗った寿司を指しながらジョージに言った。
「この店の名物だとスタッフさんが言ってましたよ。ところで、、、」
早く話題を変えたい。そんな気分だった。
この後、部長の口数は急激に減った。残り時間をノーミスで過ごそうという算段だろう。
じゃべらない部長の代わりに、僕はほとんど無い寿司の知識を捻り出して、ジョージに寿司の解説をしていった。ウンチクを蓄えたいとこの日ほど思った事はない。
なんとかデザートまで終わり、お会計のために1階へ。
あぁ、やっと終わった。早く帰りたい。そう思っていたところ、店を出る直前にジョージが話しかけてきた。
「お店の人に名物のウナギが最高だったよと伝えてくれないか?」
ジョージ、君のその優しさが今の僕には重たいよ。
僕と部長はまたも目を合わせたまま動けなくなった。だが、部長の目から伝わってくるものがあった。
「分かってるよな。」
そう言われている気がした。
先輩のメンツを保つのがサラリーマン。どこかの本に書いてあった気がする。
「この店の寿司は最高だと彼が言っています。」
後ろめたさを隠しながらお店の人にそう伝えて、急ぎ足で店を出た。
帰りの電車で僕はふぅーっと息を吐いた。隣で部長は気持ち良さそうに寝ている。きっと色んな意味で疲れたのだろう。
そんな部長を横目に僕は寿司の味を思い返していた。
叔父さんの言った通りだ。
大人はウナギとアナゴの違いが分からないといけないのだ。
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