八村塁って誰?日本人なの?
それは栗原類だ。
マジメにやれヨ!ニホンの魂をみせろヨ!
それはラモス瑠偉だ。
そんな脳内ツッコミをしてる君に、3分間で八村塁の凄さを説明しよう。
八村塁は日本バスケ界のスーパーヒーローである。
1998年、富山県でベナン人の父と日本人の母の間に八村塁は生まれた。
幼少期はイチローに憧れて野球に取り組んでいたが、抜群の身体能力を見た友人の「ユー、バスケやっちゃいなよ。」という熱心な誘いにのってバスケを始めることになった。
そして、中学時代から八村塁は全国に名前を轟かすことになる。友人のスーパースターを見抜く目はジャニーさん以上だろう。
中学時代は全国大会準優勝。高校時代は全国選抜大会を1年生時から3年生時まで3連覇したのだ。
高校3年生時の身長は199cm。日本の高身長プレイヤーはたいてい、
・遅い
・跳べない
・ゴール付近でしかシュートが入らない
であるのだが、八村塁は
・速い
・跳べる
・ゴールの遠くからシュートが入る
という、まさに規格外の存在だった。
バスケ漫画の金字塔であるスラムダンクには、高校1年生の流川楓が監督の安西先生に「アメリカに行こうと思ってます。」と伝えるシーンがある。
その時、安西先生は「君は日本一の高校生になりなさい。アメリカはそれからでも遅くはない。」と言って流川を慰留する。
文字通り八村塁は日本一の高校生となって、アメリカのバスケ強豪大学であるゴンザガ大学に進学した。
日本では圧倒的存在であった八村塁だが、アメリカではそうはいかない。多くの壁にぶつかった。
生まれも育ちも日本の彼には、オモテナシ精神が染み付いており、自分で点を取れる場面でも味方にパスしてしまう事があった。
ゴンザガ大学のコーチは、八村塁にもっと闘争心を持たなければならない、虎になるんだ!と叱咤激励した。
エースプレイヤーは常に自分で点を取る気持ちを持たなければならない。急にボールが来たので、などとは言ってはいけないのだ。
努力を重ねた八村塁は学年が上がるごとにチームでの存在感を増し、3年生時にはエースへと成長した。
そして大学リーグ戦全体を通して好成績を残した彼は大学ベスト5に選ばれるまでになった。
アメリカには大学卒業前からNBAのドラフト指名対象になれるアーリーエントリーという制度があり、八村塁もその制度を利用してドラフトに挑んだ。
結果、ドラフト1巡目(日本野球のドラフト1位指名のようなもの)でワシントン・ウィザーズから指名を受けた。
これは日本だけでなくアメリカでも八村塁がスーパーヒーローになる素質があると認められた証拠だ。
イチローに憧れて野球をしていた少年は、いつしかバスケ界のイチローになると世界中から期待される存在になったのだ。
そんな八村塁を擁するバスケ日本代表は9月1日からW杯に挑む。日本全体で応援したい。
ニホンの魂をみせろヨ!八村塁!!
本記事は下記クラブのご協力を得ています。
面白い文章を書けるようにするクラブ - CAMPFIRE (キャンプファイヤー)