サイエンスの香りがする日記

実体験や最新の科学技術をコミカルに綴ります。

怪しい論文に引っかかるのを防ぐためにできる、たった一つの秀逸な方法。

科学技術に関する論文は、事実を積み重ねていくものです。なので、当然ながらノンフィクションなはず。ところが、内情をよくよく見てみると、統計処理を偽ったり、そもそもデータが作り物だったりして、結論がフィクションになってる場合がしばしばあるのです。まぁ科学のダークサイドですね。


こういった科学の内情がScience Fictionsでは詳しく書かれています。


フィクション論文がブログやYouTubeで紹介されると、僕ら一般人の視界にも入ってきます。紹介する側がさらに結論を盛っちゃったりすると、真実から遠く離れた世界に行ってしまいます。


フィクションの世界で生きていくのも悪くないかもしれませんが、僕なんかはやっぱり真偽の怪しい情報にはひっかかりたくないなと。


ではどうすれば怪しい情報を選別できるでしょうか。何か良い方法はないものでしょうか。


一つの方法は、一次情報である論文を精読して、内容の真偽をきちんと確認することでしょう。


でも、これってよくよく考えると結構無理筋なんですよ。


ちょっと前に科学のダークサイドに堕ちた日本人がいましたね。オボちゃんこと小保方晴子さんです。STAP細胞でだいぶ話題になりました。


非常に簡単な方法で万能細胞を作れるという画期的な論文を発表しましたが、再現性が確認されず、論文の画像もオボちゃんのフォースで加工されたものでした。


でも一度は有名な論文誌に掲載されてるんですよ。つまり査読を通ってるわけです。一流の査読者でも見破れないのに、僕らが精読したところで怪しい点に気づけますかね。


話は少しずれますが、偶然にも、僕はオボちゃんの知り合いと飲む機会があったんですよ。それで、オボちゃんってどうだったの?と聞いてみたんですね。


そしたら、彼女にも本当のところはあった、と。


ふむふむ。論文全部が嘘ではなかったわけか。で、どこが?と聞いたわけです。すると、


おっぱいが大きいのは本当だ。


彼は自信満々で言うわけです。僕はこれを聞いて、光の速度で問いただしましたよ。


お前はちゃんと査読したんか、と。


まぁ、何が言いたいかっていうと、目の前に一次情報があってもその真偽を確認するのは簡単ではないということです。


僕は場末の3流研究者ですが、何回も査読をしたことはあります。もちろん論文のです。


正直言って、論文で示されているものが偽物かどうかなんて怪しんだことすらないです。


じゃあどうすれば怪しい情報を選別できるのかって言うと、Science Fictionsの中の非常に示唆的な一文があったんですよ。


言われれば当たり前ですが、忘れがちなとっても大事なことです。


“複雑な現象は多くの小さな影響で構成されている。”


例えば、学力や身長や性格や病気なんかの複雑な現象が、たった一つのパラメータで大きくコントロールされることは無いわけです。


無数のパラメータがちょっとずつ影響する。その無数の条件を固定化した上で、あるパラメータを変化させたら結果が大きく変わる。そういうことはあるでしょう。でも現実には、色んな条件が一緒に動いちゃうんですよ。


逆に言えば、これだけやれば劇的な効果があるという主張があったら、疑った方がいいでしょう。


〇〇するためのたった一つの方法、なんてタイトルの記事があったら眉唾ですわ。


ただこのスタンスも使い所やバランスが大事です。


ネット上のWEB記事なんかにはこのスタンスで良いと思います。一方で、会社の若手の提案に対して、いつもこんな態度でいたら、なんでも批判する老害になっちゃいますから。


老害化しちゃうのと似た話ですが、このスタンスにはネガティブな面があります。


本当にすごい発見を見逃しちゃうことです。


例えば、iPS細胞。たった4つの遺伝子を導入するだけで、iPS細胞を作れたわけです。こういう凄い発見も、怪しいと判断しちゃうことになります。


でもですよ。こう言うと元も子もないのですが、iPS細胞みたいな大発見をいの一番に知る必要があるのかと。


結局はノーベル賞を取って、世界中で認められたわけです。そこで情報をアップデートすれば十分じゃないですかね。僕ら一般人は。


「ぼくがかんがえたさいきょうの〇〇」に引っかかるリスクを取るより、「世界中で有効性が検証された〇〇」を発見から数年か10年か遅れて取り入れる方が有意義だと思うのです。


というわけで、最新の技術情報に触れた時、小さなことで複雑な事象をコントロールしようとしていたら話半分で捉えておいて、一方で、歴史の淘汰を超えてきた技術情報は積極的に取り入れていくのが良いスタンスじゃないですかね。

 

 

【参考文献】

スチュアート・リッチー、Science Fictions あなたが知らない科学の真実

 

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意外と知られてない「運動しても痩せない原因」と「運動しなければならない理由」


痩せたいというのは多くの人が思っていて、“ぼくがかんがえたさいきょうのダイエット法”なんてのが巷に溢れています。でも、そんなのを見るよりは、最新の研究成果を見る方がよいですね。そこにはとても重要なことが2つ書いてありました。


ひとつ目は、「運動しても痩せない」です。


そんなはずない。そう思う人が多いでしょう。僕だって、勇者ヒンメルならダイエットのために毎日運動する、と信じてなるべく運動するように努力してきました。


ダイエット目的で運動する人は、きっと以下のようなモデルを考えているでしょう。


【痩せるための不等式】

一日の食事で摂取したカロリー < 一日の消費カロリー = 体の基礎的な維持に必要なカロリー + 運動で消費するカロリー


食事で摂取したカロリーより、消費カロリーが多ければ痩せるはずで、運動すればその消費カロリーを増やせる。


何となく合っていそうな感じがしますよね。


ところが、そうはならないのです。


最新の研究によれば、いくら運動しても、一日の消費カロリーはほとんど増えていきません。


ジムに行って、たくさん走って、汗を流して、めっちゃ痩せる気がするわぁ、などと言っている人もいるでしょうが、気のせいです。一日の消費カロリーは増えていません。


いや、誤解のないように言っておくと、運動によって、たしかにその分のカロリーは消費してるんですよ。ということは?


運動以外での消費カロリーがその分減っているのです。

 

ここで、最新の研究でわかってきたふたつ目の発見です。


「運動すると健康になる。」


そんなの知ってるよ!と言いたくなるかもしれません。でも、運動するとなぜ健康になるかの説明は簡単ではないですよね。


痩せるための不等式に、一日の消費カロリーは、体の維持に必要な分と運動の消費カロリーの合算として書きましたね。これは正しくなくて、もう一つ、体の中の“不必要”な活動による消費が加わります。


不必要な活動の代表例は炎症です。炎症は様々な疾患の原因になりますね。


では、なぜ不必要な活動が日常的に体内で行われてしまうのか。


僕たちの身体のメカニズムは、狩猟採取時代から大きく変化していません。当時は、獲物を捕まえるために何キロも歩きつづけることが普通だったわけで、運動量も消費カロリーも現代よりずっと多いわけです。


実は僕たちの身体はその消費カロリーを常時維持するように出来上がっているのです。それなのに現代人はリモートワークで、Netflixしながら、Uber eatsしちゃっているので全然運動しない。


例えば3000キロカロリー使うように身体ができているのに、2000キロカロリーしか使えない。そうなると使い先に困った1000キロカロリーが変なところにいっちゃってるわけです。


お金のアナロジーで考えれば、年度末に余った予算で無駄なもの買っちゃったり、余ったお金でパパ活して寿司屋で喧嘩したりみんなするじゃないですか。あれですよ。


運動するというのは、この不必要な活動へまわっていたカロリーを消費することになるわけです。運動の重要性が分かりますね。


運動しても痩せないけど、運動するのは大事なのです。


そんなわけで、勇者ヒンメルなら‘’健康”のために運動する、と唱えながら、皆さんも運動しましょう。

 

【参考文献】

ハーマン・ポンツァー、運動しても痩せないのはなぜか: 代謝の最新科学が示す「それでも運動すべき理由」

 

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期待感が高まりすぎたアルツハイマー病征服への物語。

これほど期待感を高めておいて、肩透かしを食らわせてきた物語は他にないんじゃないでしょうか。


世界に5000万人の患者がいるアルツハイマー病の治療薬開発です1,2)


この物語をちょっと昔の話から始めてみましょう。

 

始まりは1900年代のドイツ。精神科医アルツハイマー博士が、亡くなった認知症患者の脳を詳細に観察したんですね。すると、脳が萎縮していたりとか、異常な堆積物が存在することを発見して、その結果を学会で発表しました。


 

アルツハイマー博士3)

 

その発表がきっかけで、そういった脳の状態の患者がアルツハイマー病と呼ばれるようになっていきました。発見者の名前が病名になるのはよくある話です。


さて、異常な堆積物があったわけですから、これが病気の原因だろうと考えて、こいつは何者だと研究者たちは調べ始めました。


それで、この堆積物をなんとか脳から抽出して分析したところ、タンパク質の破片の塊であるアミロイドβが堆積していたと分かったのです。

 

アミロイドβ

 

ちょっと話は飛びますが、アルツハイマー病には遺伝性と非遺伝性があって、遺伝性は家族性アルツハイマー病と言います。アルツハイマー病になりやすい家系があるのです。


研究者たちは、その家系に特徴的な遺伝子を調べて、アルツハイマー病に関連する遺伝子を探索しました。


すると、見つかった遺伝子がまさにアミロイドβの生成に直接関わっていたのです。犯人はアミロイドβだ!そうみんなが思い始めました。

 


4)

 

そこでマウスの実験。家族性アルツハイマー病の遺伝子の状態をマウスで再現してみると、見事に脳にアミロイドβが堆積して、さらに認知機能も低下したのです。


もうアミロイドβアルツハイマー病の原因物質で間違いない!研究者たちは大興奮です。


原因が分かったわけですから、次はどうやって治療するかです。シンプルに考えればアミロイドβを除去したくなりますよね。でも、どうやって除去するか。排除します!と、どこかの都知事みたいに呟いても、簡単にはいきません。


ここで奇抜な発想が生まれました。ワクチンです。


新型コロナやインフルエンザでおなじみのアレですね。免疫系にアミロイドβを異物と認識させられれば、身体が勝手にアミロイドβを排除してくれるだろう、という発想です。


そんなわけで、アミロイドβをマウスの身体にワクチンとして注射してみたのです。


 


するとどうでしょう。期待通り免疫系が反応して、マウスの脳内のアミロイドβを除去してくれたのです。さらには、認知機能が回復するという素晴らしい結果が出ました。


こんなにトントン拍子で研究が進むものでしょうか!あと数年でアルツハイマー病を征服できる!と確信した瞬間でした。ここまで来たら、ALL-INです。製薬企業もガンガン投資していきます。医薬品開発では、開発費が100億円を超えてくることもあります。それでも成功すれば元がとれるわけです。


さぁ、勢いに乗ってヒトでの臨床試験です。ただ、ここでちょっと引っかかりました。


マウス同様にアミロイドβをワクチンとして投与したら深刻な副作用が出てしまい、臨床試験を続けられなくなってしまったのです。


さて、どうするか。ここで再び良い発想が生まれます。ワクチンを投与する大きな目的の一つは抗体を作ることです。だったら、最初からアミロイドβを認識する抗体を投与すればいいじゃないかと。いわゆる抗体医薬です。


そこで抗体医薬を使ったヒト臨床試験が始まりました。


その結果、マウスの時と同様に、見事に脳内のアミロイドβを除去できたのです!


1900年代から始まったアルツハイマー病との戦いの物語が遂に完結する。世界中の5000万人の患者とその家族を救える。誰もがそう思いました。

 

ところがです。

 

認知機能がほとんど改善しなかったのです。注)

 

原因だと考えられていたアミロイドβを除去できたのに、目的であるアルツハイマー病は治療できなかったわけです。


臨床試験の結果をもって感動のフィナーレのはずが、文字通り、「俺たちの戦いはこれからだ」になってしまったのです。製薬業界は莫大なお金を投資してきましたから、頭を抱えたことでしょう。


さて、どこで道を間違えてしまったのでしょうか。アミロイドβの発見から、ヒト臨床試験まで、まるで美しい物語を見ているかのようだったのに。

 

僕らは何か選択を間違えてしまったようです。

 

5)


実は、よくよくこれまでの道のりを見直すと、気になるところが出てくるのです。


アミロイドβを原因物質と判断していましたが、統計値として高齢者の30パーセントはアミロイドβが蓄積していても、症状が出ません。また逆に、認知機能に症状が出ている患者の15パーセントはアミロイドβの蓄積が見られないのです。


また、遺伝子変異マウスの実験にも批判があります。人間がアルツハイマー病になると認知機能がどんどん悪化していき、終いには亡くなってしまいます。一方で、遺伝子変異マウスは認知機能が低下したと言いましたが、人間ほどの症状ではなく軽いものだったのです。人間の状態を模擬できていないという批判があるのは当然ですね。


アミロイドβ犯人説に水を差すデータはいくつも転がっていたわけです。それでもアミロイドβを何とかするための研究に莫大な資金がつぎ込まれて来ました。


なぜこうなったのか。


色々な指摘がありますが、業界の中心にいる研究者が力を持ちすぎて「アミロイドの研究じゃなきゃ、アルツハイマー病の研究じゃない」と言われていた時期もあったようです。

 

権威を持つ研究者が“正しい”と言ったことが、“正しい”とされてしまったのかもしれません。
 

6)


僕の個人的見解としては、物語の力なんじゃないかなと。


認知症患者の脳にアミロイドβが堆積。家族性アルツハイマー病の関連遺伝子がアミロイドβの生成に関わっている。その遺伝子をマウスで再現すると認知機能が低下する。そして、ワクチンという奇抜な発想で、それを解決できた。原因の発見から解決法の提案までが、一本の道でつながったようでした。


美しい物語、みんなが信じたくなる物語、因果が明確で納得しやすい物語。そういった物語の力が、アミロイドβを基盤とするアルツハイマー病の研究を強引に推進してきたように思えるのです。


さて、アルツハイマー病の研究の将来はどうなっていくのでしょうか。未来のことは神のみぞ知るですが、現状のアミロイドβを狙った抗体医薬がイマイチなのは事実です。


高齢化社会の最先端を行く日本にとっては、アルツハイマー病を治療できるようになるかは重要な問題になってくるはずです。

 

【参考文献】

1. 下山進アルツハイマー征服、角川文庫
2. カール・へラップ、アルツハイマー病の研究 失敗の構造、みすず書房
3. アロイス・アルツハイマー(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%84%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BC)
4. 青山剛昌名探偵コナン
5. 山田鐘人 (原作)、 アベツカサ (作画)、葬送のフリーレン、小学館
6. 吾峠呼世晴鬼滅の刃集英社

 

【注釈】

認知機能の低下速度を若干を抑える効果があるということで、製品化されている抗体医薬も存在します。ただし、薬価に対して効果が十分であるかは議論があります。

 

 

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「雰囲気で凄そうなことを言う人たち」がヒエログリフ解読を妨げた 。

ヒエログリフは紀元前3000年から400年ごろの古代エジプトで使われていた象形文字です。テレビやネットのエジプト特集で見たことがある人も多いでしょう。


例えばクイズ番組“世界ふしぎ発見”なんて、もう新しい不思議は残ってないだろ!くらいにエジプトの特集をやってますよね。そこでもヒエログリフを見かけたように思います。


そのヒエログリフですが、ロゼッタストーンの発見に端を発し、フランスの天才ジャン・フランソワ・シャンポリオンとイギリスの天才トマス・ヤングが競い合いながら解読されていきました(1)


最終的にはシャンポリオンが解読しきり、歴史に名を刻んだものの、途中まではヤングが一歩リードしていました。


そのヤングの解読を妨げたのが、雰囲気で凄そうなことを言っていた過去の偉人達だったのです。

 

ヒエログリフはその見た目の神秘性から、多くの人の興味を惹き、数々の偉人たちが独自の解釈を示してきました。


西暦120年ごろに活躍したギリシャの歴史家プルタルコスは、「ヒエログリフの魚は憎悪を表す。なぜなら、魚でいっぱいの海が、生命の源であるナイルを氾濫させるからだ。」と主張していました。


また、プルタルコスと同じ頃に著述家として活躍したアレクサンドリアのクレメンスは、「ヒエログリフは日常を描いた絵に見えて、実は鳥にも植物にも容器にも、もっと壮大な意味が込められていて、神秘性が強いものだ。」と考えていたようです。


さらに、西暦400年頃に活躍したエジプトの神官ホラポロは、「古代エジプト人は、神か、あるいは崇高なものを記号化したい時はタカを描く。他の鳥と違ってタカは真っ直ぐに飛び立てる。」と解釈していました。

 

このように数々の偉人達が、ヒエログリフの絵の一つ一つが神秘的なシンボルを表すと主張してきたわけです。


そして、この考え方が1000年以上も積み重なり、デファクトスタンダードとなっていきました。


ところがです。


なんと、これらの解釈のほとんどはデタラメで、偉人達のまったくの空想でした。

 

(2)

 

漢字のように文字そのものが意味を持つものを表意文字と言います。一方、アルファベットのように意味を持たず音でしかない文字は表音文字です。


過去の偉人達はヒエログリフ表意文字と捉えて、神秘的な意味を見出していたんですね。


ところが、ヒエログリフはほとんどが表音文字なのです(一部は表意文字です)。


例えば、ヒエログリフと、近い音のアルファベットを対応させると、フクロウの形をした文字は‘’m‘’、うずらの雛は‘‘u’’、パンは“t”になります。


これらの文字を組み合わせて単語を作り、そして単語になって意味を持つのです。つまり、ヒエログリフ一文字で何かの崇高な意味を持つわけではないのです。

 

ヒエログリフ表意文字である、という1000年以上も塗り固められた思考の枠がヤングの発想を邪魔しました。表意文字ではなく表音文字であると、考え方を変えられなかったのです。こうして、どっちが先に解読できるかレースでシャンポリオンに負けてしまったわけです。


逆に、その思考の枠を飛び出して、表音文字を基礎とするヒエログリフの文字体系を明らかにしたシャンポリオンが凄すぎると言うべきかもしれません。

 

過去からの間違ったデファクトスタンダードが思考の邪魔をするというのは、身近でもありそうです。僕も、会社の偉い人が、実は適当に言ったことを鵜呑みにしていることがあるかもしれません。


皆さんも周りで似た事例がないか考えてみると、良い発想ができるかもしれませんね。

 

【参考文献】

(1) エドワード・ドルニック、ヒエログリフを解け:ロゼッタストーンに挑んだ英仏ふたりの天才と究極の解読レース

(2) 三田紀房 、インベスターZ

 

【注釈】

ヒエログリフはほとんどが表音文字ですが、一部は表意文字です。ヒエログリフ表音文字は子音しかなく、母音がありません。このため、表音文字だけだと意味が一意に決まらないのです。そこで、単語の最後に決定詞という一文字で意味を持つ表意文字ヒエログリフがくっつき、読解を補助してくれます。詳しくは下記Webサイトを参照。


古代エジプト語のヒエログリフ入門

https://www.hituzi.co.jp/hituzigusa/category/rensai/hieroglyph/page/3/

 

 

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生成AIと僕たちはどう生きるか。

 

僕らがスクロールするインスタグラムのフィード、眺めるYouTubeの動画、読むニュース記事。それら全てが生成AIによって生み出されたものだとしたら……

 

ChatGPTを始めとする生成AIが社会を席巻しています。文章から動画まで次々と生成されていっています。


僕なんかがブログを書こうと思ったら数時間仕事です。ところがChatGPTなら1分やそこらで1記事を書き上げます。馬と車のように、生産効率が人間よりも圧倒的に高いのです(質は別の話ですが)。


Open AIのChatGPTは2021年9月までのデータのみを利用してモデルを作っています。サム・アルトマンがサボっている訳ではありません。2021年9月以降は、生成AIが生み出したデータが爆発的に増えています。人間が作ったデータを主な学習データにするためには、最近のデータは使えないのだろうと考えられるわけです。


ただし、そんな制約もそのうち取っ払われるでしょう。そうすると、生成AIが作ったデータを学習して、生成AIが新しいデータを作る。そのデータをまた学習して、新しいデータを生成する。そんなサイクルが次々と回っていきます。


やがてネット上に溢れている情報のほとんどは生成AIによって生み出されているという状況がやって来ます。


もはや自分で作り出したもの以外は、どれが人間の手によるものか確証が持てません。

 

「教養としての生成AI」の筆者でありプログラマーの清水亮氏は、AIを「思想を映す鏡」と評しています。現実世界を精緻に模倣する鏡なわけです。


僕らはその鏡を便利ツールとして使ってきました。ところが生成AIが作るデータが溢れてくると、鏡を覗いているつもりが、自分が鏡の中にいるかもしれないのです。その時に僕らは、鏡が歪んでいるかの判断がつくでしょうか。


では一方で、現在、僕ら人間が生み出しているデータが全て真実に基づいていて歪んでいないかと問われたら、答えに窮するでしょう。


特にSNSが普及してからは、フェイクニュースが大量に生産されて問題になっています。


例えば、新型コロナワクチンにはマイクロチップが入ってるとか、福島県産の食品を食べるのは危険とか、小泉進次郎氏が原発処理水の安全性アピールに福島でサーフィンしたとか、そんなフェイクが飛び交っています(最後のはホントの話か……)。


むしろ人間が生み出したデータの方が歪んでいて、生成AIはそれを補正する役割かもしれません。

 

まぁ、そんなわけで生成AIによって社会がどう変わっていくかは全然読めません。


ただ、出生率を基に人口動態を高精度で予測できるように、データの生産効率から、ネット上に新たに生み出されたデータのほとんどが生成AIによるものになるでしょう。

 

そのほとんどはガラクタで見向きもされないかもしれないし、僕らが熱狂するものが生み出されるかもしれません。


僕らは否が応でも、生成AIとどう生きていくかを考えさせられる事になりそうです。

 

 

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お金は遺伝に勝てるのか。

知能は遺伝する。

 

そうは言っても、知能の100%が遺伝子で決定されるわけじゃない。だから、遺伝子ガチャを乗り越えるため、僕らは一緒懸命に勉強するし、子供には少しでも良い教育を与えようと、塾に課金したりするわけだ。

 

でも、お金をかければ遺伝子ガチャを乗り越えられるのだろうか。はたして課金額が増えるほど、遺伝子の鎖を解き放って、ずっと遠くへ飛び立てるのだろうか。



行動遺伝学は、遺伝と知能の関係など、人間の様々な特性への遺伝の影響を調べる研究分野だ(1,2)。

 

例えば、知能の遺伝率は50%程度であることを示している。知能は人によってばらつくわけだが、そのばらつきの50%が遺伝子によってコントロールされていると考えられる。

 

さて、僕らが気になるのは、お金と知能と遺伝子の関係だ。

 

親の経済状況と、子供の知能への遺伝率を調べた研究がある。親が裕福なほど遺伝率が低いのであれば、遺伝子の制約をお金で取り払えたと推測できる。さぁSAPIXにガンガン課金しよう!という結論になるだろう。

 

ところが期待とは裏腹に、結果は逆なのだ。

 

経済状況が豊かな親の子ほど遺伝率が高い。お金をかけるほど、その子の知能に遺伝子の影響が見えてくる。

 

これはどういうことだろうか。行動遺伝学では次のように考察している。

 

経済的に豊かな環境下の子どもは自分の遺伝的資質に合わせて自由に環境を選択できる。算数が得意な子は公文に行ったり、音楽が好きな子はピアノを習ったり。その結果、遺伝の差異がより顕在化していく。

 

一方、貧しい環境下の子どもは、知的成長に振り向けられる時間やお金に制約がある。得意不得意は関係なく、最低限の教育が施される。

 

お金で遺伝に勝つというストーリーではなく、お金が遺伝的に持っている潜在能力を開花させているのだ。



では、この行動遺伝学の結果を前提に、これからの未来を見通してみよう。

 

インターネットによって知の民主化が進んだと言われている。大学の授業が無料で公開されて、貧しい人でも高等教育にアクセスしやすくなった。

 

そしてさらに生成AIの登場である。生成AIは個々人に最適なメンターになるポテンシャルがある。

 

算数が得意な子にも音楽が得意な子にも、その子のレベルに最適な教材を提供して、さらにフィードバックをくれるサービスが今の塾に比べれば無料に近い価格で登場するだろう。

 

こんな状況が実現すると、これで生まれに関係無く、本人の努力次第の世界がやってきたと考えてしまう。

 

だが教育コストが下がるというのは、現状裕福な親が子に提供している教育を、多くの人が享受できるということだ。

 

つまり、行動遺伝学の結果を考慮すると、‘’生まれより努力”の世界というよりは。。。

 

世界はみんなが期待したものとはちょっと違う方向に進んでいくのかもしれない。




【参考文献】

  1. 安藤寿康 教育は遺伝に勝てるのか
  2. 安藤寿康 能力はどのように遺伝するのか 「生まれつき」と「努力」のあいだ

 

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カネ喰いロッカーと誠実なパパ

 

8月15日。気温35℃の終戦記念日だ。


シューセンって何それ?シュークリームの仲間?くらいの感覚の息子と娘を連れて近くの市営プールへ行くことに。


コロナ禍が始まってから、もう3年くらいはプールに行ってない。それくらい久しぶりだから、子供も大人もワクワクしながら車を走らせた(水着女子に期待してワクワクしているわけでは決してない)。


こんだけ暑いから、みんなプールに行きたがって駐車場も満杯かな?と不安に思ったけど、行ってみたらガラガラ。むしろプールが倒産しなければいいな、なんて思うくらいだ。まぁ市営だからきっと大丈夫だろう。


入場料を払って、まずはロッカーでお着替え。ロッカーに来るのも久しぶりで、何やら懐かしさを感じる。


ここのロッカーは100円で有料だけど、使い終わったら100円が戻ってくる。良心的だ。


水着に着替え、服をロッカーに閉まって鍵をかけたところで息子が、


「靴を入れ忘れたぁ!」


おいおい。


まぁ、いいさ。ここのロッカーは100円が戻ってくる。


鍵をロッカーに刺して、ガチャ!


。。。あれ?


ガチャガチャ!


あれ?。。。ロッカーは開いたのに、100円玉が出てこない。


ガチャガチャ!


。。。全然良心的じゃねぇ!!売上低迷の影響か?!


ガチャガチャ!


いくら鍵を回しても100円が返ってこないのだ。


このカネ喰いロッカーがぁ!!


ガチャガチャ!


受付のお兄さんにお願いすれば取ってくれるかもしれない。でも、そこまで戻るのは面倒くさい。


この場で、ロッカーからどうやって100円を取り戻そうか。僕は脳みそをフル回転して考えた。


結論は、「叩く!」


映らないテレビは叩け。100円を戻さないロッカーも叩けである。


ドンドンドン!!


ドンドンドン!!


しかし無反応。。。


くそぉ。


100円を返すまで、終戦しねぇからなぁ!!


ドンドンドン!!


ドンドンドン!!


ドンドンドン!!

 

チャリーーン!


100円戻ってきたぁ!!


僕の爆撃のような連続パンチに根を上げたのか、無事に100円玉がロッカーから出てきたのだ。


さらに、その100円玉をロッカーから取り出すと、

 

チャリーーン!!

 

もう1枚100円出てきたぁ!!

 

ヤッホーい!!賠償金ゲットーーー!!!

 

このロッカー、意外と可愛げがあるじゃねぇか。


これでプール帰りにアイスを食べてやるぜぇ。グヘヘへ。


僕は思わずほくそ笑んだ。


そんな想像をしているところで、ぱっと息子と目が合った。


一連の僕の行動を、息子はキョトンとした顔でずっと見つめていたのだ。


うぅ、、この光景は教育上、良くないのでは。。


このままでは、今日の夏休みの絵日記が、カネ喰いロッカーではなく、ネコババ父さんになってしまう。


僕は正気を取り戻し、


「この100円は帰りに受付のお兄さんに返そうね。」


僕は息子に笑顔で話しかけた。


教育というのは、まずはやって見せないといけない。お行儀良くしなさいと叱る前に、誠実なパパの行動を見せてやることが大事なのだ。


結局、その後2時間くらいプールを楽しみ、帰りがけに受付で、


「ロッカーから100円がもう1枚出てきたので、お返しします。」


僕は誠実な大人の姿勢を息子に見せてあげたのだ。


このとき、僕は偉人の名言を頭に浮かべていた。あるべき教育の姿である。

 

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」


大日本帝国海軍 連合艦隊司令長官

山本五十六 

 

 

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